ワー

7/16

雑記

飲み会の後

数年前、家の前にあった喫茶店にデカデカと「飲み会の後は、シメのパフェ!」と書かれていてたいそう驚いた覚えがある。シメの代表格といえばラーメンだろう。確かに過剰な脂質と炭水化物という構成要素は似ているが、そもそも飲み会の後のラーメンがうまいのは水分と塩分によるところが大きいと思っていて(向井秀徳しじみ汁が飲みたいと散々言っている)、それを完全に抜いたパフェがシメの座に入り込めるとは思われない。その時は結局鼻で笑って通り過ぎてしまった。
しかし久々に飲酒した今、なぜか猛烈に甘いものが食いたくなっている。今まではこんなことはなかったのに、なぜ今回だけ? 思い返してみると、今回はいつも飲むビールに以前作ったジンジャーエールの素を入れてシャンディガフもどきにしてみたのだった。もしかすると、甘いお酒を飲んでいるとシメも甘いものが欲しくなるのかもしれない。なんだか余計体に悪い気がする。
書いていてふと思い出したが、一時期サークルの友達と飲みに行った後シメのラーメンに行くことを「ラーメン終止」と呼んでいた(元はアーメン終止である)。日本中で百億回擦り倒されたしょうもないネタだろうが、飲み会という機会を失った今、路上で次の店を探して交わした会話が無性に懐かしく感じる。”Zoom飲み”ではこういった時間はなく、そこに内輪ネタが発生する余地もない。つぎに心置きなく飲み会ができるのは、いつになるだろうか。その時は、シメのパフェにでも行ってみたい。

短歌

前回全然うまくいかないと書いたが、内輪でいい評価を受けたし褒められたい人に褒められたのでだいぶ気分が良くなった。作ってる時は「うわ~もうこんなんダメだよ」と思っていたが、人から褒められたらすぐ「もしかしてよかったかも」となってしまうので単純なものですね。
短歌の場合はなんとなく始めてみたものの明確な目標がないので、結局人の評価を基準にしてフラフラ動いてしまっている。今回などは明らかに点を取りに行った詠草を一首出したりもしてしまった。pixivでいえば樋口円香さんを主役に据えてPドルラブラブ台本形式SSを書いちゃうようなものだ(コラ!!!)。でも結局その一首はビックリするくらいウケなかった。媚びに行くというのも案外難しいらしい。

よかったもの

柴田勝家 - アメリカン・ブッダ

半分くらい読んだ。難解な理由付けなしに(「鏡石異譚」はハードだが)奇想と説得力を生み出す発想力がすごい。あらすじにもパワーワードが並ぶのでSNSウケはかなり良さそうな作家だが、案外バズってはいないような気がする。SFなんてやっぱオタクしか読まんのかなあ。『ヒト夜の永い夢』とかあらすじ見ただけでゲラゲラ笑っちゃったのに……(未読)

rollingstonejapan.com

note.com

Jengi - World Trauma EP

iamjengi.bandcamp.com

Animal Collective - Feels

anmlcollectve.bandcamp.com

筋トレ

サイドレイズ 7 * 15 * 1, 7 * 10 * 1
ダンベルオーバーヘッドプレス 7 * 10 * 3
暑い。

7/15

雑記

制汗剤

汗がひどくなってきたので制汗剤を買った。いつもあまり効いている気がしないので医療用の強力なものを買ってみたが、調べてみるとどうやら副作用として使い始めはかなり痒くなるらしい。その代わり、数日に一回塗るだけで劇的な効果を発揮するようだ。
そんなことがありえるのか、と思って調べてみたら、作用機序の解説が出てきた。それによると、制汗剤に含まれた塩化アルミニウムが汗腺内部に潜り込み、水と反応して角栓を形成。完全に汗腺を塞いでしまうため、ターンオーバーで角栓が排出される数日後までまったく汗をかかなくなるということらしい。痒くなるのは塩化アルミニウムの反応時に塩酸が生成されるからだとか。
それを見て安心するどころか、逆にビビってしまった。汗腺を埋めるなんて……そんなことしていいのか? 汗腺内で塩酸なんて作って大丈夫なのか? 大丈夫だから医療用なのだろうが、「そこまでして汗を抑えんでも……」となってしまった。外出の予定が立ったら使ってみたい。

よかったもの

washburn1975.hatenablog.com

fhána - 愛のシュプリーム!

youtu.be

すげえ良い曲。入り組んだ曲調なので「どうやって作ったんだ……?」と思い調べてみたら元ネタ解説記事が出てきた。

note.com

なるほどなあ~と思い更に調べたら下のインタビューに直接の言及があった。まさに上の記事が指摘している通りスチャダラパー・BITTE・かせきさいだぁあたりを意識していたらしい(すごい)。

realsound.jp

再生讃美曲もfhánaの方が作曲してたのか! 完全にやられ続けている。
上のnoteでも触れられていたが、たしかに既存ジャンルのBPMを高速にすることによって全く違う印象でまとめあげるという手法はすごい。というか「もってけ!セーラーふく」をブラックミュージックだと思って聴いたことはなかった。言われてみればブラスといいベースラインといいファンクの早回しだな……
記事中にある監督のメモが凄い。

今作は人との距離感の結び直しがテーマで、お馴染みのキャラ同士の関係、新しいキャラとの関係にフォーカスが当たる。前作と同じく断絶の壁を乗り越えることが目的ではなく、壁を壁として認めつつ、それでも一緒にいることはできるという姿を描きます。前作と同じく異文化コミュニケーションを大事にする、お互いの世界の文化に初めて触れるところを丁寧に描く。コメディでもシリアスでもここが肝。原作を踏まえ、アニメではより具体的詳細にしていく感じ

「壁を壁として認めつつ、それでも一緒にいることはできる」そうだよなあ、メイドラゴンのまさにこういうところにやられたんだよなあと深く頷いてしまった。至言。背中に彫った。

John Coltrane - A Love Supreme

当然上からの流れで再聴。スタジオ版を聴いた後に「The Complete Masters(Super Deluxe Edition)」なる盤にしか入ってないライブ版を聴いた。
ライブ版は初めてだが、Pt. Ⅲのドラムソロ・ベースソロがよりねっとりしていてうれしい。全体的にスタジオ版よりインタープレイが熱く、だいぶ印象が違う。お経パートもないし。

7/14

雑記

原作厨

何か作品にあたろうとする際に、「あっアニメ化されてるじゃん、じゃあアニメで観よ」となる人のことが信じられない。
アニメ化というのはメディアミックスであって、原作の要素を再構成して単体で完結するアニメに仕上げるのだから、(多くの場合原作が未完結のまま作り始められる)アニメのストーリーが原作より面白くなることはそうそうないだろう。原作を忠実になぞるにしても、漫画や小説とアニメではそもそも表現技法が違うのだから、どこかに無理が出てくる。稀に構成力と演出力で原作より遥かに面白くなっているアニメもあるが、大概はそうではない。「アニメ化決定」の報が出た瞬間が盛り上がりのピークとなり、結局はほとんど話題にもならないまま去っていく。そういった作品を最初に観て、「じゃあ原作も読もう」となるだろうか? 好きな作品の話をするたびに「ああ、アレね……アニメ観たわ……」と謂れのない失望を顔に浮かべられるのは、もう耐えられない。
ということで、『裏世界ピクニック』は原作を読んでください。いや何を措いても勧めるかというとちょっとアレだけど、アニメよりはずっと面白いから。

オルタナティブでない百合

3回生のときだろうか。大学の課題の合間に読んだ社会学の雑誌に、「オタク」を扱ったものがあった。そこでは「オタク」のひとつの特徴として、作品が提示する本筋を一旦脇に置き、オルタナティブな読解を探求していくことが挙げられていた。オタクは作品をただ受動的に受け止めるだけでなく、能動的に他の読み方を探していくというのだ。どういう内容だったかほとんど忘れてしまったが、とにかくそういう話がされていたことと、参考文献にワンピースのゾロ×サンジBL同人誌が挙げられていたことだけは覚えている。今調べたら2002年の雑誌だったので、だいぶ「オタク」の指す層が今から見ると古くなっているのだろうが、ともかく当時は「オタク」はそういうものとして捉えられていた。
例に出ていたのはBLだったが、いわゆる「百合」もやはりかつてはほとんどが「オルタナティブな読解」の結果であった。本筋の中に「百合」を捉えていた作品は少数派も少数派だったように思う(単なる肌感覚だが)。しかし今日Twitterで、レヴュースタァライトについて「みんな関係性の話ばかりしている」というようなツイートを見かけてちょっと衝撃を受けた。レヴュースタァライトに限らず、いまや1クールに1つは百合要素のあるアニメが放送され、書店に行けば百合コーナーがデカデカと設置されていたりする。知らない内に、オルタナティブな読解ではなく本筋として「百合」が表れる作品が増えていたのだ……
超今更な話ではあるが、今日改めてそれを実感した。嬉しいですね。もっとみんな関係性の話ばかりしてほしい。

よかったもの

note.com

youtu.be

鍵のツイートだが、

ボーイッシュ受けやりたいだけのやつ、男勝りなキャラクターの脳をスカスカにするので狂牛病ウイルスとか保菌してそう

これを見てゲラゲラ笑ってしまった。priest_teaでは絶対にそんな話しないが、オタクの悪口が大好きなので。狂牛病ウイルスて。

筋トレ

バーベルスクワット 60 * 7 * 1, 100 * 9 * 2, 100 * 5 * 1
レッグカール 62.5 * 10 * 1, 60 * 10 * 2
レッグエクステンション 62.5 * 10 * 3
腿が平行になるまでしゃがむことを意識したい。

7/13

雑記

生活

「生活」を描いた作品が好きだ。特に生活を向上させるための努力が含まれた作品が好きだ。
生活を向上させるということはそのまま生きる意志の発露であって、この先の生をより良くしようという意識の発露でもある。積極的に生きていく意志がなければ、自分を取り巻く環境などどうでもいいはずだ。「生活ができる」ということは「生きる意志に溢れている」ということなのだ。なので、複数人が集まって生活を良くしようと奮闘する描写は、そのまま彼(女)らの未来を祝ぐ描写でもある。未来方向に射程の長い関係性が好き、という好みが、ここにも現れているのだった。
ということで、一生積んでいた「小林さんちのメイドラゴン」をようやく見始めたのだが、あまりにも個人的な好みに合いすぎていて毎話奇跡を見ているような気分になる。こんなに良いアニメがあっていいのか? それも2期が今放送されているなんて! もはや見進めることが勿体なく感じる。できれば永遠に続いてほしい。かの有名な(?)アマガミSSを永遠に流し続けるテレビを作った人は、こんな気持ちだったのだろうか。

よかったもの

www.editus.jp

withnews.jp

oka-ats.blogspot.com

radiko.jp

かげきしょうじょ!!の作者・斉木久美子先生へのインタビューがあった。早々に舞台裏が描かれたことで役者だけでなく多くの人に開かれた物語になった、という宇多丸の指摘は新鮮だった。紅華のなかではジェンダーはフラットに受け止められ、外ではそうではないこともあるというバランス感覚もすごい。最初の方で宇垣アナが「やさしい」と評していたが、多くの人を巻き込んで傷つけない手腕の高さを改めて感じさせられた。

Tyler, The Creator - CALL ME IF YOU GET LOST

youtu.be

7/12

雑記

3回目の観劇

大場ななさんの誕生日ということで劇場版レヴュースタァライトを見に行った。これで同映画を観るのは3回目になる。
今までで劇場に3回足を運んだ映画といえば、「叛逆の物語」と「リズと青い鳥」くらいしかない気がする。完全に劇場で女と女の関係性が大写しになると嬉しくなっちゃう動物でしかなくて恥ずかしい。でも嬉しくなっちゃうものはしょうがない。
今回もまひるさんの宣誓と華恋復活あたりのシークエンスで泣いた。特に後者は3回とも打ちのめされている。

劇的であること

劇的な一瞬に弱い。もっと言えば、劇的な一瞬のために生涯を懸ける姿に弱い。今回の劇ァで言えばジェットエンジンが過去を焼き尽くすシーンが一番好きで、見るたびに感極まってしまう。
2回生くらいのときに福田恆存『人間・この劇的なるもの』という本を勧められて読んだ。ぼくは未だにこの本にかなり影響を受けている。福田恆存は言う。存在に理由はない。しかし存在していることは事実である。それは舞台と同じだ。社会的に生きるということは自身が舞台の一部であると自覚し、役割を演じることである。そうすることでのみ人は充実感を得られる。ただ生きるだけでは三流の大根役者だ。人は唯一自分で演出でき、その後何者にも割り込まれることがない決定的な瞬間――すなわち死を意識し、そこへ向かって役割を演じ続けるべきなのだ、と。要するに「私たちはもう舞台の上」ということである。
福田恆存は劇作家であったというから、この人生の本質を演劇に見出した思想はまさに演劇人らしいものなのかもしれない。一方で、今年のはじめにYouTubeで公開されていたMONOの『錦鯉』はその思想を戯画化した作品だった。

c-mono.com

tvf-web.com

今の世の中ってすごく保守的になっていると感じているんです。「爪の先までいっぱいになりたい」っていうのは、結局ルールに縛られたいってことなんですよ(笑)人間っていうのは悲しいもので、どうしてもルールに縛られてしまうよ、みたいな。メッセージというのはあまりないんですけど、あるとすれば「いっぱいにならないように、だらだら生きようよ」ってこと。

このインタビューを観た時、ぼくはビックリしてしまった。なぜかというと、「錦鯉」は「ルールに縛られて」「いっぱいになって」生きた主役2人の姿がめちゃくちゃ美しい作品だと思っていたからだ。しかし監督によると、そういう生き方の悲哀に満ちつつも美しい部分を表現したかったのではなくて、単にこうはならないようにしようね、ということを言いたかったらしい。ぼくの「いっぱいになって」生きる人間への憧憬がシーンの印象を変えてしまっていたのだ。しかし未だに、あのラストシーンは今までに観た劇の中でも一番美しいシーンだと思っている。観る手段がほぼない作品を引き合いに出して申し訳ないが……
やはり「錦鯉」でいうところの「爪の先までいっぱいになりたい」という思いは強く持っているのだが、なかなかハマれるものがない。ビジネスでも芸術でも、宗教でも陰謀論でもなんでもいい、限界までハマって突っ切れたらそれは幸せだろうと思うのだが、なかなか演じるべき役が見つからないまま、舞台上をふらふらとさまよっている毎日である。いつまでたってもモラトリアム気分だ。大場ななさんに殺されたが最後、もう二度と蘇れはしないだろう。大場ななさんが一般企業に就職したら、学生気分の同期に向かって皆殺しのレヴューを仕掛けるんかなあ。それは結構嫌だなあ……

よかったもの

『99%のためのフェミニズム宣言』

公的領域の平等を求めるリベラル・フェミニズムを「支配の機会均等」を求めているだけだと断じ、それによって圧迫されるグローバル・サウスの女性たちと連帯しようとする、そしてその支配構造を生み出す資本主義という巨大なシステムそのものとの闘いを勧めようとするマニフェスト。敵は世界の1%に満たない支配者層であり、その分断を認識することによって他の99%は連帯できるはず、ということで「99%のためのフェミニズム」が高らかに宣言される。
無賃労働による再生産に立脚した資本主義の歪さの指摘は面白かったが、とはいえその先のビジョンが何も見えないままに焚きつけられるのは違和感がある。今資本主義を打倒しようとするとして、その先にどういう社会が展開されるのか想像もつかない。この本はあくまで現状の指摘と連帯の呼びかけであり、代替案を示すことはしていない(それは作者も「あとがき」で認めている)のだが、全く代替案を想像できないままに社会運動に参加できる人間が果たしているのだろうか? これが資本主義リアリズムっちゅうやつですか(『資本主義リアリズム』は未読)。
まだ読み終わったばかりなので、腑に落ちない点も含めもうちょっとちゃんと咀嚼したい。ていうかいい加減『資本主義リアリズム』読まなきゃ。

TENDOUJI - MONSTER

youtu.be

いきなりROYをフィーチャリングした曲から始まったので間違えてBAWDIESを再生したかと思って焦った。ウキウキでいい。夏が始まった感じがする。リリースは4月末だったが。

筋トレ

ハーフデッドリフト 70 * 7 * 1, 120 * 7 * 1, 140 * 7 * 1, 150 * 5 * 3
ベントオーバーロー 50 * 10 * 3
ラットプルダウン 45 * 10 * 3
リアレイズ 8 * 10 * 1, 10 * 10 * 1, 13 * 10 * 1
インクラインアームカール 8 * 10 * 3
ハーフデッドリフトも150kgまでくると背中や脚より上腕が持たなくなってくる。パワーグリップをつけているのにである。ノーギアで保持力を鍛えたほうがいいのか?

7/11

雑記

アルバム単位

音楽をアルバム単位で聴かない人はどんどん増えているらしい。2019年イギリスの調査では既に、25歳以下の15%がフルアルバムを聴いたことがないという結果が出ているとか。

djmag.com

母数の少ないアンケートだが、それにしても15%という数字は衝撃的。サブスクの隆盛、新曲の逐次公開の一般化、コンテンツの氾濫、さまざまな要因が人をアルバムから遠ざけていることは想像に難くない。
ぼくは音楽をアルバム単位で聴く。これはおそらく長らくクラシック……というか合唱をやってきたことが影響しているのだろう。クラシックを聴く場合はたいてい組曲単位で聴くし、組曲単位で聴かないと取りこぼしてしまうものも多い。中学校の授業で歌わされた「大地讃頌」が、「カンタータ 土の歌」という組曲の終曲であることを知っているだろうか? 戦争の惨禍と平和への祈りが切々と歌われた末に、最後に待っているフィナーレであることを知っているだろうか? 今知ったのなら、ぜひ全曲通して聴いてみてほしい。きっと聞こえ方が変わってくるはずだ。
まあ25分くらいかかるんですけどね……

よかったもの

relations-tokyo.com

kompass.cinra.net

Goat - Requiem

goat.bandcamp.com

マシュマロで勧めてもらった最新曲「Queen of the Underground」があまりによかったので、前作のアルバムを聴いた。最新曲のようなヘヴィさは薄いがトライバルなリズムと楽器が効いたサイケの傑作。
どこのバンドだろう?と思って調べてみたら、どうもスウェーデン北部の集落から突然現れたらしい。そんなことあるんだ……

tower.jp

筋トレ

ベンチプレス 60 * 7 * 1, 80 * 5 * 1, 80 * 3 * 2
ダンベルフライ 14 * 10 * 3
ケーブルプレスダウン 18 * 10 * 4
インクラインベンチをやりたいのにいつ見ても空いていない。

7/10

雑記

会話

眼鏡を取りに外へ出たので、ついでに友達と会った(どちらかといえば前者がついで)。やはり通話では得られない対面で会ってこその満足感というものはある気がするんだけど、具体的にどういう部分なんだろう?
行き帰りの時間が欲しいのだとすればどこか外で通話して帰ってこればいいのだし、情報量が欲しければカメラをつけっぱなしにすればよいのだが、そういうことではないんだろうな…… まだまだ気軽に外出しづらい状況が続く以上、「空間を共有しなければ決して満足感は得られない」みたいな諦めに落ち着くのは早い気がする。どうにかしてハックできないか。

親愛の外部参照

いつも通りnmmnジャンルのツイートを見ていたら、CPの片方の発言を取り上げて「この言い回しは2年前のここで2人の会話に出てきている、だからこの会話はこういう文脈を踏まえたものなのかもしれない」というようなことを言うツイートがあった。おそらくこじつけなのだが、素直にキモいしすごいと思う。
関係のあいだに時間と会話が降り積もっていって、参照できることばやそれに伴う文脈が増えていく、そうして得られた共有されるもの(存在しているだけでなく共有されなければならない!)の数が親愛の情のバロメーターになるということはありそうだ。でも、そういったデータベースが外部に勝手にまとめられているのはなんだかグロテスクだし面白い。そこをデータベース化できたのなら、各文脈の引用回数で重みづけをすることによって「どの時期が二人にとって最も重要だったか」みたいなのを割り出すこともできないだろうか? ←キモ……
まあそもそも我々は二人の見せたい会話しか見られないわけだから、そんなんいくらやったって彼女らの本当の認識には迫れないわけだが、しかし永久に明かされることがないであろう「真実」などに価値はあるのだろうか? nmmnカップリングを追うのだったら、自分の中での蓋然性を高めるためにできることをやるべきじゃないだろうか。狂えなくなったら終わりなのだ。狂い続けるためには決して止まることなく、常に自分の視界を埋め立て続ける必要がある。

よかったもの

note.com

bloodthirsty butchers - kocorono

youtu.be

大名盤。夏になると聴きたくなる。ベタに(?)3月と7月が好き。