ワー

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雑記

文化資本

関東に越してきたのは、カルチャーが東京に一極集中されている現状に負けてしまったからでもあった。
地元はもうひどいものである。市内に本屋は一軒もない(数年前にできたけど潰れてしまった)、当然美術館や映画館もない、CDショップはおろかレンタルショップも隣町にしかなく、唯一あったビデオショップはとうの昔に朽ちている。観たい映画は車を飛ばして1時間、悪くすれば高速で2時間走ったところでしか公開されていない。先日地元の友達と遊んだら「お前本読むの?頭ええなあ」と言われて愕然としてしまった。そういう文化圏である。
一方、東京には全てがあった。帰り道に駅前の本屋に寄れば話題の新刊が手に入るし、東海圏では名古屋でしか上映されていないような映画も山手線内では数駅おきに上映されている。デカいタワレコやオシャレな蔦屋があり、taknalを起動すれば数十人が本を勧めてくれる。話題になるイベントなんかも特に予定を立てず適当に行ける。とんでもない環境だ。大阪にいた時ですらこうはいかなかった(特に美術館やイベントの選択肢などは段違いだ)。
しかし、何もないからこそ限られた体験が印象に残っているということもある。小学生のとき初めて岐阜県美術館に行き、ワークショップを受けたときのことを、ぼくは未だに覚えている。その回では美術鑑賞の一環として、木炭を使って絵の模写を行ったのだった。講師となる学芸員が言う。「では机の上にある絵のなかから、好きなものを選んで描いてみましょう!」同じテーブルの仲間がいっせいにハガキ大の紙に手を伸ばす。しかしその見本となる絵を引き寄せて見た瞬間、幼いぼくは凍りついた。その絵があまりにも不気味だったからだ。岐阜県美術館はオディロン・ルドンのコレクションを売りにしており、題材となった絵もルドンの作だったのである。

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「『エドガー・ポーに』 Ⅰ. 眼は奇妙な気球のように無限に向かう」、1882年、岐阜県美術館蔵
怯えつつもなんとか模写は完成させたが、慣れない画材に手も紙も汚れてしまい、全く納得行く出来にはならなかった覚えがある。とはいえ、未だにルドンに対してはなにか親しみのようなものを抱いてしまうのだから、貴重な体験だった。こういう経験ができると思えば、何もない田舎で暮らすことも悪くは……
悪い。田舎はカス。一生選択肢の多い都会で生活したいです。

よかったもの

rollingstonejapan.com

hito-horobe.net

やってみたいけど流石に情報開示が足りない気がする。

tree-novel.com

劇場版レヴュースタァライトを観た。今年最高の映画が決まってしまったかと思って怯えている。みんなは誰が好きかな? 私は花柳香子!

そうでしょうね……

こうして「斜線堂有紀は恋愛小説も書ける」と思ってもらえたのが嬉しい。これも沢山読んでくださった読者の皆さんのおかげだと思う。

いわゆる「恋愛小説」としてあの作品を読んでいる人がどれだけいるのだろうか。恋愛を題材にしているので恋愛小説には違いないのだが……にしても……

Popol vuh - Hosianna Mantra

雨が降っているとアンビエント寄りのが聴きたくなる。

SUSHIBOYS - 死んだら骨

youtu.be

悪くはなかったが、次作のような攻撃的なビートアプローチはない。リリックは相変わらずいい。「SANAGI」の羽化に失敗したという発想には胸を衝かれた。