ワー

7/10

雑記

会話

眼鏡を取りに外へ出たので、ついでに友達と会った(どちらかといえば前者がついで)。やはり通話では得られない対面で会ってこその満足感というものはある気がするんだけど、具体的にどういう部分なんだろう?
行き帰りの時間が欲しいのだとすればどこか外で通話して帰ってこればいいのだし、情報量が欲しければカメラをつけっぱなしにすればよいのだが、そういうことではないんだろうな…… まだまだ気軽に外出しづらい状況が続く以上、「空間を共有しなければ決して満足感は得られない」みたいな諦めに落ち着くのは早い気がする。どうにかしてハックできないか。

親愛の外部参照

いつも通りnmmnジャンルのツイートを見ていたら、CPの片方の発言を取り上げて「この言い回しは2年前のここで2人の会話に出てきている、だからこの会話はこういう文脈を踏まえたものなのかもしれない」というようなことを言うツイートがあった。おそらくこじつけなのだが、素直にキモいしすごいと思う。
関係のあいだに時間と会話が降り積もっていって、参照できることばやそれに伴う文脈が増えていく、そうして得られた共有されるもの(存在しているだけでなく共有されなければならない!)の数が親愛の情のバロメーターになるということはありそうだ。でも、そういったデータベースが外部に勝手にまとめられているのはなんだかグロテスクだし面白い。そこをデータベース化できたのなら、各文脈の引用回数で重みづけをすることによって「どの時期が二人にとって最も重要だったか」みたいなのを割り出すこともできないだろうか? ←キモ……
まあそもそも我々は二人の見せたい会話しか見られないわけだから、そんなんいくらやったって彼女らの本当の認識には迫れないわけだが、しかし永久に明かされることがないであろう「真実」などに価値はあるのだろうか? nmmnカップリングを追うのだったら、自分の中での蓋然性を高めるためにできることをやるべきじゃないだろうか。狂えなくなったら終わりなのだ。狂い続けるためには決して止まることなく、常に自分の視界を埋め立て続ける必要がある。

よかったもの

note.com

bloodthirsty butchers - kocorono

youtu.be

大名盤。夏になると聴きたくなる。ベタに(?)3月と7月が好き。