ワー

7/18

雑記

収束と拡散

NUMBER GIRLのライブを見に行った。2019年の再結成からほとんど欠かさずに抽選に申し込んできたから(ライジングサンは日和った)、2年越しの悲願が叶ったことになる。再結成前も数え入れればもっとだ。NUMBER GIRLのライブを見に行くのは、高校生の頃からの夢だった。
そんな念願が叶った今回のライブ、全席指定で即席の硬い椅子に座らされたのはかなり厳しかったが、それでも十分に価値のある時間だった。向井秀徳のギターは再結成前より歌うようになり、田渕ひさ子はまったく衰えのないキレっぷり、アヒト・イナザワのタイトさと抜けの良さには圧倒されたし、何より中尾憲太郎47歳(47歳!?)の轟音ベースに度肝を抜かれた。実際に弾いている姿を見ると、ゴリゴリで大振りのピッキングも相まってより凶暴に聴こえる。「鉄風」のイントロでは思わず叫んでしまいそうになった。各自のバンドではない、NUMBER GIRLの4人の姿が、この4人でしか出せない音がそこにはあって、思わず目頭が熱くなる瞬間も何度かあった。
しかしそれでも、再結成前とは違ったように思う。
ぼくが記録映像で見ていたNUMBER GIRLのライブには、いつもヒリついた緊張感があった。それはZAZEN BOYSでも感じるところなので、向井秀徳の強権あってのものだったのかもしれないし、あるいはもっと複雑な強迫観念があったのかもしれない。けれどとにかくNUMBER GIRLの音楽には常にどこか一点を見つめていて、そこに全てを収束させていくようなイメージがあった。それはサッポロのラストライブまで変わらない。
けれど、今回はそうではなかった。各自が自信たっぷりに外へ向かっており、惜しげもなく拡散していくような印象を受けた。そこにはかつてのような緊張感はなく、むしろ余裕すら垣間見える。キーをミスった向井秀徳にメンバーが笑いを漏らしながらも続行するようなシーンさえあった(結局アンコールで同じ曲を「リハ」と称して再演したが)。
どちらが良い・悪いという話ではない。20年という時間は長く、各々が歩んできた道がここに再び交わったのだから、同名のバンドとはいえ20年前と同じ音を求める方が間違っている、そういうもんなんだなという話である。もちろん座っていたせいでノリきれなかったのも大きいだろうし、それで印象が変わってしまった部分もあるだろう。でもなんとなく、この実感はオールスタンディングでライブを見ても変わらないような気がする。

大反省会

ライブ前にオタクと少し話した。「強さ議論は原始的な欲求」「アグネスタキオンウマ娘)は共産主義と相性がいい」「凛世さんの持っている”プロデューサーさま”人形を放クラはイジれるんだろうか」「声優の名前は実際に発音することがないから案外読み方があやふや」みたいなしょうもない話を延々していた気がする。その中で2000年代のインターネットの倫理観の話が出てきて、なんとなく当時は流してしまっていた今となってはとんでもない行為について指摘されてハッとした。ちょっと前「91年生まれ大反省会」の話題がバズっていたが、確かに当時からどれだけ倫理観が変わったか、という現在地の確認のために人と振り返ってみることは大事なのかもしれない。チューニングを怠れば言動はどんどんズレて、聞くに耐えなくなっていく。向井秀徳の好むテレキャスターのように(無理やりつなげなくていいよ……)

よかったもの

円城塔田辺青蛙『読書で離婚を考えた。』

半分くらい読んだ。夫婦がお互い相手の勧めた本を読み、感想文を書くというWeb連載企画のまとめ。ここまで合わないか、というくらい本に関する価値観が合っておらず、それを引き金に?お互いの生活に関する不満や思い違いがポロポロと出てくる。しかし今のところギスギス感はなく終始思いやりのある距離感を保っており、安心して笑うことができた。全然合わないけど一緒にいることは不快ではない、という距離感がめちゃくちゃ良く、普通にカップリングとして興奮してしまう(そんな……)。しょうがないじゃん、そういうの好きなんだから……
これを東方の星ナズでパロディした『読書で破門を考えた。』という同人誌があったが、確かに原作からしてかなり星ナズっぽい。円城塔ナズーリンを見出す日が来るとは思ってもみなかった。