ワー

9/22

雑記

クラッシュ

労働状況は昨日に引き続き芳しくない。カーブに鼻先を突っ込んでいるのにまだ5速。明日も作業するつもりだが、もはや終わるビジョンは見えない。どうするんですか? どうするんでしょうね。

メイドラゴン

あまりにも良すぎて1話見るたびに消耗してしまうので放置していた「小林さんちのメイドラゴン」の視聴を再開し、第7話を観たが、やはり1話見て疲れ果ててしまった。一話見るたびに、「僕は君の翼に なれる勇気があるよ」というOPの歌詞に込められた想いが紐解かれていく感覚がある。翼になるとはどういうことか。「なれる勇気」とはどういうものか。それがあるよ、と宣言することに、どういう意味があるのか。ト、トール……

ロジハラ

正論を突きつけることを「ロジハラ」として忌避する向きがあるらしい……という話が一時的に盛り上がったのが去年のことで、その時はアホらしいと笑って流した覚えがある。論理的により欠陥がない意見が通るのは当然のことで、それを拒否したいのなら被害を喚くより反論を持ってくるのが先じゃないか? あ、これも「ロジハラ」か、ワハハ……けれど、最近はそうも言ってられなくなってきた。
Qアノンの盛り上がりやワクチン反対派の増加、果ては地球平面説なんてものがあることすら、今やTwitterで関連ワードを検索すればすぐに内面化した人の声として確認することができる。そして、これらの説を信じる人に、その説は何の根拠もない、ということを説くことは(身の回りの人の体験談を聞く限りでも)何度も試みられているようだ。しかし、それがうまくいったという例は聞いたことがない。たとえ筋が通っていても、一度依って立ったものを放り捨てることは容易ではないのだろう。
こうした正論への反抗が「常識のある」人に関係ないものかというと、そうでもない気がする。例えば、ヴィーガンなんかは論理的にはかなり隙がないように思える。動物も痛みを感じる、といったアニマルライツ的な側面だけではなく、畜産が産出する温室効果ガスがとてつもない量に上ること、畜産が森林破壊や水質汚染の原因となっていることについてもまとまったデータがあるし、完全菜食化するべきとまではいかないにしても、現在の食肉が生産過剰であることは明らかだ。とはいえ、こういったデータを見たところで「じゃあ肉をボイコットしよう」とはなかなかなれないだろうし、うまい肉を食ったらそんな問題意識は頭から吹き飛んでしまうだろう。
結局のところ、感情的にしか見えない意見を冷笑する、というような態度こそが分断を生んでしまっている……という数年前の大統領選のときに散々言われたことをよくよく思い返すべきなのだろう。相手が感情的になっているとき、「はい論破w」などと言ってみたところで何の意味もない。感情が論理に優先することはある、そのことをまずは認めなければならない。

よかったもの

news.denfaminicogamer.jp

t.co

今完全にこれ

Out of the Blue - Electric Light Orchestra

youtu.be

先日カバーで知った「All Over The World」があまりによかったので、その曲を生んだバンドのアルバムを聞くことにした。バリエーションに富みつつも親しみやすくポップ、一聴した感想は「丸くなったサージェントペパーズ」という感じ。最大のヒット曲らしい「Mr. Blue Skyからして、かなりビートルズを意識していることが伝わってくる。というかかなり「A Day In The Life」じゃないかこの曲?
「All Over The World」は野放図なハッピーさとディスコの哀愁が同居した曲で、個人的には最近まれに見る大ヒットだったのだが、そういった当たりはこのアルバムにはなかった。とりあえずベストとか聴いてみるか。