ワー

10/29

雑記

AIの表現と倫理

小説を書いてくれるAIが出来たと聞いて、試しにインターネットを利用して学習するAIへの定番質問を投げかけてみたら案の定……な結果になった。

japan.cnet.com

とはいえ、小説執筆AIとチャットボットではまた話が違う気がする。ナチスを賛美する内容を話している人は明らかにそういった思想の持ち主だとみなされるが、ナチスを賛美する登場人物を出した小説家がそういった思想の持ち主だとみなされるかというとそうでもない。仮にナチスを賛美する内容で貫き通す小説だったとしても、それを「倫理的失敗」とみなして切り捨てていいのかというとそれもまた疑問が残る気がする。ウェルベック大学図書館から弾かれた話を思い出すところもある。

「学習対象が悪かった」「かといって消すこともできない」と捨て置かれたAIが差別と憎悪にまみれた物語を生み出し続けるところもそれはそれでSFっぽくて良いし、見てみたい気もする。

本棚

人の本棚の写真を見るのが好き。
高校生くらいの時に2chを見ていたら「その人がどんな本を読んでいるか言ってみたまえ、そうすればどんな人か言い当ててみせよう」という言葉がヘーゲルの名言として紹介されており、いたく感銘を受けた覚えがあるが(ちなみにこれはガセ名言。元ネタはブリア・サヴァランの名言と思われる。2chはカス)、未だにけっこう趣味を見てその人のことを分かった気になってしまうところがある。 f:id:priest_tea:20211030004744p:plain f:id:priest_tea:20211030004802p:plain 逆に言えば言葉を尽くさなくても親近感を抱いてもらえるということなので、自己開示の手段としてはけっこう有効なのではないかとも思う。でもやっぱり、自分がやるのは恥ずかしいナ……

愛のバッファ

「好きは良いところに魅力を感じることで、愛は良い所も悪い所も引っ括めて存在を愛おしく思うこと」みたいなよくあるツイートが流れてきた。
この定義の根拠や妥当性は置いておくとして、「良い所も悪い所も引っ括めて」というのは要するにバッファを大きく取るということだなと思った。例えば悪いところが新たに明らかになったとき、それを単純に自分が良いところに感じている魅力と足し合わせてプラマイを計算するか、「でも悪いところも含めて○○だから……」と一旦計算を保留するかという違い。それは別にどちらが高尚というわけでもなく、覚悟の問題なのだけど、その覚悟があるのかないのかではその思いの耐久性は大きく異なるんじゃないだろうか。(追記:よくよく考えてみると「覚悟があるかないか」は1か0かの問題でしかないので、「耐久性が大きく異なる」という表現はズレている。「好き」のほうでは耐久性は全く度外視されるのに対して、「愛」のほうでは逆に耐久性しか問題にならない。これらは全く別の概念だ。そして、この話は『愛するということ』で散々された議論の劣化版でしかない)
なお、「こういうとこがダメだけど、でもそこがいい」みたいな物言いもよく見るけど、これは結局ネガティブなところをネガティブなところとして受け入れていないので、「良いところに魅力を感じる」の亜種でしかない。重要なのは「アバタもエクボ」の精神ではなく、やはりこれしかないという覚悟なんだと思う。
と、いうようなことを、最近湾岸ミッドナイトを読みながら考えている。結局、踏めるかどうかなんですよね何事も(最近のサビ)

よかったもの

note.com

kakuyomu.jp

omocoro.jp

jbpress.ismedia.jp

Cory Wong - The Paisley Park Session

youtu.be

プリンスのスタジオであるThe Paisley Parkでのスタジオセッションの録音。ゴリゴリに踊れるジャズファンクでうれしい。こういうのがいい、こういうのが……