ワー

9/29

雑記

フリック

日記の更新により、スマホで長文を書くのはめちゃくちゃダルいということを知った。「SSはスマホがあれば書ける!」という主張を時折目にするが、全くそんな気はしない。今書いてる文と前後2、3文くらいしかまともに画面に入らないし、フリックは速度がついてこなくてじれったい。スマホで文を書ける人はすごい。

よかったもの

芹沢あさひLP

あさひが新しいことを始めていく様子と、それに対するプロデューサーのスタンスが描かれる。最近の芹沢あさひシナリオは、あさひが始めたことに対するプロデューサーの思いが軸となって回っていることが多かったように思う。けれど、今回は違う。あさひが出来事から何かを感じとり、自分の中で昇華して、パフォーマンスとして出力する。その過程でプロデューサーは、出来事の一端を担い、ただ隣にいるだけだ。
個人的にはあさひシナリオのプロデューサーの説教臭さにはまあまあ辟易していたので(芹沢あさひさんに勝手に夢を見続けているタイプのオタクとしてもな)、あさひの中で一連の処理が行われた今回のような形はかなりうれしい。
たしかにコワかったヨ最初は… ずっとあのPにゴチャゴチャ言われてたし LPが出た途端 いっきにあさひが色あせるんじゃないかって…
――でもそんなことはなかった(何を観ても、湾岸ミッドナイトのセリフが頭に浮かんでしまう――)

和泉愛依LP

真っ当なメインシナリオという感じ。セルフタイトルイベントで「アイドル和泉愛依」のスタイルを決めた愛依さんが、改めて今までの歩みを振り返りつつ、今後の目標を再設定する……これだーっ!LPで読みたかったのはこれだった!というド真ん中を放ってきた。
視線から逃げるために被った仮面が正式に舞台衣装となった今、その仮面越しに見える世界はどうなっていくのか、どうしていきたいのか。仮面の内側と向き合うことをやめて初めて、愛依さんはその外側とアクセスすることができる。もう言うことなしのストレートな続編ですね。よかった〜。

保坂和志『プレーンソング』

びっくりするほど何も起こらない。登場人物たちはただ主人公の家に現れ、ひとしきり喋ったり泊まったりしては、帰ったり帰らなかったりする。それぞれの背景はほとんどわからず、主人公に至っては仕事さえも判然としない(同僚は数人出てくるのに)。遊園地や海に行ってみたりもするが、それも「何か起こるフィクション」に対するパロディとしか見えないほど。この起伏のなさは明らかに意図的なもので、登場人物がそのまま作者の思想を語っていたりする(親切設計……)。

 何か、事件があって、そこから考えるのって、変でしょう? だって、殺人なんて普通、起こらないし。そんなこと言うくらいだったら、交通事故にでもあう方が自然だし。
(中略)
 そんなんじゃなくて、本当に自分がいるところをそのまま撮ってね。
 そうして、全然ね、映画とか小説とかでわかりやすくっていうか、だからドラマチックにしちゃってるような話と、全然違う話の中で生きてるっていうか、生きてるっていうのも大げさだから、『いる』っていうのがわかってくれればいいって

『プレーンソング』で描かれるのは、ただその瞬間が持つ気持ちよさであって、その瞬間が存在しているということだけだ。この感覚については、解説の表現がけっこうしっくりくる。

 人生には、金こそないものの、ほとんど永遠に無為な時間が続いてゆくように思われる時間が、二十歳代のどこかに存在している。もちろんそれはいつまでも続くわけではないが、ともかくその時間のなかにいると、奇妙な停滞感のなかに嵌りこんでしまって、仲間どうしでたわいのないことを目的もなく議論したり、ふと思い立って海に出てしまったりする。のちに青春という名のもとにこうした時間は回顧されるわけだが、もちろん当人たちはそれが青春だなどと気付いてもいない。

深夜の宅飲みだとか、練習後にいつまでもうだうだ残っている部室だとか、溜まり場になってしまった下宿だとか、不意に行くことになった海や川だとか、そういったとりとめのない思い出が連続している時期……その感じが好きな人にはオススメです。