ワー

8/3

雑記

喉痛

エアコンをガンガンにかけ、扇風機も「強」で回しながらグースカ寝た結果、案の定喉を痛めた。しかし、こうでもしないと寝られないのだ。なぜなら、布団がロフトに敷かれているから。
最上階のロフトは直射日光を存分に受け、日中は(ちゃんと測ったことはないが)40度をゆうに超える。エアコンを一日中つけていたって、寝る前には扇風機で空気を入れ替えておかないととても寝付けないし、扇風機を切ると汗だくで目を覚ますことになってしまう。泊まりに来た友人からは「こんな所で寝るなんて正気の沙汰じゃない」と言われたが、毎日寝苦しい思いをするよりロフトから布団を下ろす方が億劫なのだ。昨年は結局ロフトで夏を乗り切った。
とはいえ、これからワクチンを接種するにあたってはそんなことも言っていられない。高熱で寝込むとなると、昇降の手間がある灼熱のロフトは一日でも命取りだ。面倒だけど、そろそろ布団を下ろすか……

短歌

この時に作ったシャニマス短歌を懲りずにもう一度やろうとしているのだが、またも全然思いつかない。ウ~ン
二次創作短歌の評価軸は、普通の短歌とは異なる。
1. 短歌としてよくできているか という点とは別に、
2. 解釈が妥当なものとして受け止められるか という点が入ってくるのだ。
しかも、この2点のうちどちらを重視するかは人によってだいぶ差がある。キャラ解釈が良ければいい、という人もいれば、二次創作という前提がなくても短歌として読める作品でなければならない、という人もいる(もともと短歌をやっているひとは後者のことが多い)。小説や絵のようにひと目でそのキャラだと理解できる特徴が入れ込めない分、解釈の幅は大きく、「え!?このキャラがどうしてこの歌に繋がるの!?」と思われてしまうことも多い。
そうなると、「ちょっと捻ってあるけど原作を読んでいるとギリギリわかる」という塩梅の歌を狙いたくなってしまうし、実際そういうのが一番ウケるのだが、なんだかそういう狙い方は本質的ではない気がしている。うまいこと「考察」できるパーツを与えてやれば評価されるでしょ、みたいな作品は作るべきではない。もっと言えば、仮に評価者がいるとしても趣味である以上は「ウケる」ことを意識したくない。ということで、今回はなにかしらコンセプトを持つ、つまり「上手いこと言おうとする欲」を自分ルールで縛ることでより題材に対して真摯な歌を作りたいと思うのだが、まだコンセプトすら決まっていない。ウ~ン

二次創作短歌については以下のサイトによくまとまっている。

hiro-tohma-official-website.com

著者は歌人の榊原紘という方で、なんと二次創作短歌が収録された『悪友』という歌集で笹井宏之賞まで獲っている。
個人的に好きな短歌は、『ハイキュー!!』の二次創作短歌である以下の歌。

木兎光太郎
君の眼が初めて熾す火のようでビブスの裾をかたく絞った

よかったもの

note.com 凄い掌編。発想も広げ方もすごい。

www.ajinomoto.co.jp

miyearnzzlabo.com

「彼のこういうところが自分たちのポリシーに反する」みたいなことを『Lollapalooza』などはすぐに表明していて。それなら納得する人は納得するだろうし。

昨日、シャニマス水着の件についてゲーム内にお知らせを出していた。経緯の説明と今後の対応を検討していることが語られていたが、謝罪に関しては「不快な思いと多大なるご迷惑をお掛けいたしましたことを心よりお詫び申し上げます」――俗に言う「ご不快構文」になっていた。「何が悪かったのか」を明確にしていないのである。
昨日修正された『ルックバック』も同様で、「何が問題とされたのか」「何のために修正したのか」という部分が曖昧なままだ。問題の所在を曖昧にしたまま「謝罪した」という実績だけを残す、というテクニックは有用なものではあるけれども、それをやっている企業はあんまり信頼したくならない。

謝罪といえば、以前大企業で広報部長を担当していた方から話を聞く機会があった。その方の任期中に、社の製品について重大なミスが発覚。その方が当時受けた至上命題は、いかに「謝罪したという実績を残すか」だったという。
それからの話はそれだけでノンフィクションが一本書けそうなほどの大スペクタクルだった。当時はネットも普及していない、事件がマスコミに発覚するまえにいかに謝罪するか……辺鄙な場所の狭い会場をいち早く予約し、謝罪会見にマスコミが集まれないようにしたり、地下に車を何台も用意して追跡を逃れたり、懇意にしていたハイヤーの運転手にギリギリで助けてもらったり……問題の追求を逃れるためのアクロバティックな手段がどんどん出てくるのだ。もうここまでいくと目的の倫理的でなさと出来事のドラマチックさのギャップがすごくて、夢中で聞いてしまった。「問題の本質をうやむやにして追求をかわす」というのは、昔から多くの企業で追求されてきたことなのかもしれない。もしマニュアルや事例集があるんだったら、見てみたいものである。きっとめちゃくちゃ面白いんじゃないだろうか。絶対表には出ないだろうけど。