ワー

10/5

雑記

存在を引き受ける

しばらく前にちょっと話題になった、「百合漫画がノベライズにあたって男主人公に変わってしまった」という話の詳細が出ていた。 yurinavi.com どう見てもNot For Meなので勝手にやったらええ、としか言いようがないが、以下の部分はちょっとおもしろかった。

少なくとも、主人公(男性)は琴崎さんに対して限りなく恋愛に近い感情を抱いています。そのうえで「百合を愛する観察者は、自分が当事者になってはいけない」つまり「琴崎さんを好きになってはいけない」と苦悩します。自分自身が男であることに起因する「肉欲」への忌避感や罪悪感、という部分も小説版で描いております。

要するに「百合好きが百合に巻き込まれる」類型の後半部分をヘテロにしたということなのだが、それによって一気に「百合を愛する観察者」たろうとする男への批評性が出てきている気がする。この主人公は、おそらく意識的にも無意識的にも「百合」を神聖視しており、肉欲にまみれた男であることを罪だと考えているのだろう……そして、こういうタイプの思考はSNSなんかでもよく見かける気がする(「正しくない性別に生まれた」とか「男でごめんなさい」みたいな卑下がツイッターには数多く存在する)。
自らの暴力性・優越性を自覚した男は、単なる「視線」にまで後退することで、はじめて安寧を得る。向こうがこちらを認知していない限り、自分と対象の関係に不均衡が発生することはない(と思える)からだ。しかし、対象がこちらを発見してしまった、対象と関わりたくなってしまった場合、いったん置き去りにできていた不均衡が逃れられない問題として戻ってくることになる。この問題は、「百合好きが百合に巻き込まれる」場合とはちがってジェンダー的な要素、つまり社会構造の問題を含むため、問題は余計にややこしくなる。「壁になりたい」やら「観葉植物になりたい」やらというように無機的で性別のない「百合を愛する観察者」たろうとした男は、自分の欲望と自分への嫌悪との間でジレンマに陥ることになる……
これだけ書いたものの、やっぱり上の作品を買う気は特にない。恋愛を成立させようとするのであればどこかで自分の存在を引き受けなければならず、問題はそのきっかけひとつだろう。だけど、動画を見た感じではあんまりキマったエピソードが出てくるようにも思えない。面白いテーマだとは思うんだけども。

よかったもの

バラしてみるとわかるけど まいるんだよなフェラーリってのは
鉄パイプをひんまげたフレームに ハリボテのアルミボディをのせただけ
こんなの大金だして買う奴の気がしれねーよナ
‥‥ただし エンジンだけはいいんだよな
湾岸ミッドナイト 2巻)

楽しみなアナウンス。

wezz-y.com

 1巻の最後にあたる9話で野本さんが春日さんに「クリスマスも年越しも一緒に過ごしませんか」って告げるシーンがありますよね。あのシーンは、ゆざきさんも私もめちゃくちゃ恋愛に踏み込んだつもりだったんですよ。ネームもかつてなく難航して、調整に調整を重ねた上での踏み込みだったのですが……。  読者さんの反応を見ていると、意外とあのイベントを恋愛フラグだと捉えている方は少なくて。「あれ!?」ってなりましたね(笑)。単純にこちらが伝えきれなかったという問題もあるのかもしれませんが、私たちが想定していたよりもずっと、世間の「女性同士の恋愛フラグ」というハードルが高かったのかな、とも思います。

な~る……とはいえ「じゃあ作者の考える恋愛の定義ってなに?」という思いもありつつ……
明確にGLをやろうという思い、レズビアンを透明化したくないという思いが伝わってくるいいインタビューだった。

スピッツ - CRISPY!

ロックだった前作から一転、完全に歌モノポップスに! こちらのほうがちゃんと聴き始める以前のスピッツのイメージに近い。先日フォロワーが言及してた「人は誰もが寂しがりやのサル」って「裸のままで」の歌詞だったのね……
「タイムトラベラー」が好き。歌詞の情景は全然わかってないけど。